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■第5章・・・・・人生の通過儀礼

人生の通過儀礼とは

人の一生に経験する誕生・成人・結婚・死亡などの儀礼習俗のほか、入学・入社などの社会への仲間入りとその転機にこの儀礼を経験することによって、社会的地位や役割を自他共に認識し、その節目に産土神や崇敬神社へ参拝し神の御加護を願うものです。

安産祈願祭「あんざんきがんさい」

出生は人生の門出であって最も意義深く、かつ厳粛なものです。したがって、懐妊中、胎教の必要を説き、母子の安泰と安産を祈請するのです。「ハラム」という言葉は日本書紀には「在姙、姙身、所娠、有身、有娠」を、また類聚名義抄には「任、産婦、胎、懐」の文字をあて、それぞれ腹産の義と解釈しています。時代により地方によって多少の違いはありますが、ただひたすらに神明に祈願する祭りの形は昔も今も変わりはありません。

命名式「めいめいしき」

新たに誕生した子女に名前をつけ、産土神も神前に奉告する祭りです。昔は「幼な名」や「えぼし名」などあって子女の成長と共に名乗りが変わったのですが、今は滅多に変わることはありません。命名は法的な規則に従って生まれた日から十四日以内に出生地の市町村長に届け出なければなりません。普通は「お七夜」といって生後七日目み命名して産土神に奉告します。
なお、地方によっては初宮詣に兼ねて行う所もあります。

初宮詣「はつみやもうで」

懐妊して産土神または崇敬の神社に詣でて安産の祈願をこめ、その大御恵を戴いて無事に出産した報賽のためと健やかな成長を願って、適当な日を定めて生児を抱き初めて神社へ参詣するのが初宮詣です。この歴史は古く中世にさかのぼると言われていますが、江戸時代には男子三十三日、女子三十二日を経て参詣し、その帰途知己を訪れるのを慣習としました。現在では男子三十二日、女子三十三日(この反対の説もある)が通常のようですが、乳児のことなので気象条件もあり、およそ三十日以後百日位までの間に参詣するのが普通です。

七五三詣「しちごさんもうで」

児童の成長を祝福する儀式で三歳と五歳の男児、三歳と七歳の女児がその年の十一月十五日に新衣を着飾って産土神や崇敬神社に参詣し、神の御加護を祈願することを「七五三」と通称しています。この言い方は比較的新しく、明治以後東京を中心にして関東で言い出され今では全国的に広がった幼児の祝日です。七、五、三はその数が佳き数とされ、またその年齢には古来男女共三歳の「髪置の祝」、男児五歳の「袴着の祝」、女児七歳の「帯解の祝」に通ずるものがあり、生理学的に見ても歯がはえるとか知恵がつくとか成長の節目であるようです。なお式日は正月の吉日や誕生日に行われてきたが、江戸時代の初め頃より「霜月十五日」とされてきました。現在はその前後の土曜日や日曜日にも行われるようになりました。
なお、「七五三は数え年ですが、満ですか」と聞かれますが、昔はかぞえ年で行ったのですから、古い習慣にのっとっていく意味では、かぞえ年でするべきでしょうが実際には、例えば十二月生まれの子供は満二歳にもならないうちに行うことになりますから、早くお祝いを望む場合はかぞえ年で、そうでなければ満年齢でというのが現実的ではないかと思われます。

節句「せっく」

女児では三月三日の桃の節句(上巳の節句)「雛祭り」と男児は五月五日の(端午の節句)などがあり、雛祭りには雛人形やその調度類を飾り、白酒・菱餅・桃の花などを供え、また端午の節句には鯉のぼりを立てたり武者人形を飾ったりして共に健やかな成長を祈る行事です。
三月三日が桃の節句「雛祭り」といわれるのは、桃の花が美しい時候ということだけでなく桃が古くから邪気を祓うという信仰や旧暦三月の上旬の巳の日(上巳)には祓いの行事が行われたという中国の慣わしが伝来し、日本の習俗と混じり合い形代(祓のときに用いた紙の人形)としての人形を作り、それに穢れを移して川や海に流し不浄を祓う行事に基づくものであります。
端午の節句のいわれは、端は初めの意であり午は五と同音で同じ。つまりは端午は、もともと月の初めの午の日をいう、これが月と日が重なる日を祝日にする風により、五月五日を端午として祝うようになった。またこの日には菖蒲や粽が厄を除くお供えものとされています。

就学・就職の神詣「しゅうがく・しゅうしょくのかみもうで」

子どもが立派に成長するまでの学業・教育は子ども自身にとっても親にとっても重要なことです。義務教育では入学に当たり神社に詣で、入試のある学校では合格を祈願し、入学できた慶びを奉告、学業成就を誓い、無事卒業、就職のあかつきにはお礼の参詣をし、よき社会人となるようお願いします。

成人祭「せいじんさい」

日本民族は古い時代から心身の成長を祝福することが盛んで、一生涯の内幾度となく生い立ちの区切りを慶ぶ風習を持ち伝えてきました。特に子どもから大人への成年期に当っては男子の「元服」や女子の「髪あげ」すなわち成年式の儀礼が行われ、それが人生の最大の節目とされ重んじられてきました。現在は男女共に二十歳を以って成人とし、毎年一月十五日に祝日として「成人の日」が設けられています。多くは自治体主催の成人式ですが、神社に参詣して、無事成人にして戴いた大御恵に感謝し、責任ある社会人として一層の御加護を願う行事です。

厄祓「やくばらい」

本来人間の成長段階の一定年令になると、社会的にも宗教的にもその役割が更新され、そのような年令は一生の中の「晴」の機会でもあったので不浄を避けて年祝いを行いました。また氏神その他の神祭りに参詣し、氏子入り・稚児の役・神輿かつぎ・宮座への加入など、多くの神事役につく機械でもあったので物忌斎戒の生活が要求されました。しかし神事の役につく役年の観念がうすれ、神事と関係がなくなると、その年には自分の身に災厄の多い年に当たるという謹慎感のみがの残ってしまい、厄年の習俗が成立してきたと考えられ、したがって民間には神事と関係する年令の感覚が現在でも認められます。男二十五・四十二歳・女十九・三十三歳が一般に「厄年」とされて厄祓の神事を行います。この年令も時代により地方によって異なります。

結婚式「けっこんしき」

二人または二つの家を結い納めるという「結納の式」に結婚式の日取りが決まります。結婚式の本来の意味は二人が結ばれた御神恩に、感謝し双方の家族、親戚、社会がそれを承認するということにあります。また二人の新しい人生の門出を祝う厳粛な儀式です。結婚することにより、夫は妻に対し責任や義務をもつ立場になったことを認め、長い人生相生の松の如く仲良く手を取り合い、山川を共に越えて幸福な家庭を築き、生きがいのある日々を過ごすことを神に誓うと共に御加護を願い、併せて両家の弥栄、子孫の繁栄を祈ります。

結婚記念日の神詣「けっこんきねんびのかみもうで」

日本では明治二十七年(一八九四)三月九日に明治天皇が御大婚二十五周年を記念されて銀婚式を祝われたのが最初とされています。これにならって一般の人も神詣でして記念日を祝う風習が生まれました。
昭和天皇は、昭和五十九年一月二十六日に御大婚満六十年のダイヤモンド婚式を、また六月十日には天皇陛下が御成婚満二十五周年の銀婚式を迎えられました。一般には次のようになっています。節目のこの機会に氏神様に参拝します。

年祝い・長寿の祝い「としいわい・ちょうじゅのいわい」還暦「かんれき」(六十歳)、古稀「こき」(七十歳)、喜寿「きじゅ」(七十七歳)、傘寿「さんじゅ」(八十歳)、米寿「べいじゅ」(八十八歳)、卒寿「そつじゅ」(九十歳)、白寿「はくじゅ」(九十九歳)、の祝いの時は一家そろってお祝いを述べ氏神さまに参拝して平素の御加護に感謝し、益々の健康と長寿を祈願します。

長野県内神社を巡拝し、地域の歴史や個々の縁起などに触れながら、そのご神縁に思いを寄せてみませんか。印刷して冊子に出来ます。

令和4年11月に松本市にて開催しました「第2回神社御朱印展」の御来場者から回答頂きました。アンケート結果はこちらからご覧ください。

神社庁教化部青少年対策推進委員会にて毎年開催しています「子供参宮団」「靖國神社参拝旅行」について特設サイトを開設しました。


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