第4章・・・・・ 祭り
祭りとは
まつりは「マツウラ」すなわち神様に付き従うという意味から転音したことばである。
神社の区域に生活している氏子の人たちが感謝の気持ちから氏神さまに身も心も清めた上、お供えをし、一年を単位としてご加護頂いたお礼を申し上げ、神さまをお慰めするのがお祭りです。
神社の恒例祭には祭神(おまつりされている神様)や神社の由緒ある日に行われるお祭りや、古くより水田稲作農業を中心に栄えた我国においては、春には五穀豊饒を祈る祭り、秋には収穫感謝を祈る祭りなど様ざまな祭りがあります。
また諸祭として氏子、崇敬者の希望により行われる奉告祭や祈願祭などでは、人間の成長に応じて行われる初宮参り、七五三参りなどの通過儀礼や、節分際や大祓式などの年中行事、地鎮祭や上棟祭などの建築儀礼などたくさんのお祭りがあげられます。
このような祭りにおいて神社に参拝したり、家庭に神棚を祀ったり、家族の健康や平安を祈ったりする日常生活に溶け込んだ神まつりは、日本の精神的文化を永きにわたりささえてきた重要な伝統です。
一恒例祭
 (一)大祭式
祈年祭「きねんさい」
トシゴイマツリともいい、明治以降二月十七日をもって、これの祭日としてきた。「トシ」は稲の稔りを意味し、稲を主体とする五穀を初め、すべての野菜などを含め人間の食物全体の豊饒を祈るまつりである。古くからわが国は農業がその基幹をなし、その消長は直ちに国力に響いた。従って農業の発展は、即工業、商業、漁業の進展に通ずるものであった。そのため祈年祭は五穀の豊饒を祈ると同時に、あらゆる産業の発展を祈り、国家国民の安泰と繁栄を祈るまつりである。

新嘗祭「にいなめさい」
新嘗とは「新饗」の意味で、「新」は新穀、「饗」はご馳走の意を表わす。春の初めに祈年祭を行って五穀の豊饒を祈ったのに対して、取入れの秋に神々の恵みによって収穫が豊かになったので、まず新穀を神前に供えてそのお礼を申し上げるのが新嘗祭である。
現在全国神社においては、十一月二十三日を中心に神恩感謝の意をこめて、おごそかにおまつりが行われ、あわせて皇室・国家・国民の平安と繁栄がお祈りされる。

例祭「れいさい」
例祭は、神社の恒例によって一年に一回行われるまつりで、祈年祭(春祭)・新嘗祭(秋祭)とともに神社の三大祭をなし、中でも最も重要なまつりである。このまつりの日は、その神社の由緒や沿革によって、通例その神社にご縁の深い、たとえば神社創設の日、御祭神のお鎮りになった日などがその日に定められている。山車や曳物が出、神輿を中心に豪華な行列を仕立てて、賑々しく神輿渡御が行われるのも、境内に露天がならび終夜神楽の音色が聞え、境内が参拝者で埋めつくされるのも、多くはこのまつりの日である。
 (二)中祭式
神嘗祭当日祭「かんなめさいとうじつさい」
神嘗祭は伊勢の神宮だけに行われるまつりで、数多い神宮のまつりの中で最も重いまつりとされている。それ故に本宗と仰ぐ神宮の神嘗祭当日、すなわち十月十七日に、その奉祝の意をもって行うまつりをいう。

紀元祭「きげんさい」
二月十一日「建国記念の日」に行われるまつりで「建国祭」ともいわれる。建国記念の日とは、すなわち我国の誕生日を祝う日で、第一代天皇である神武天皇が御位につかれた日である、この国の誕生日にあたり、建国の初めを開かれた神武天皇のご精神をかえりみ、いよいよ民族の自覚を深め、愛国の意識を新たに、国の発展を祈るまつりである。

元始祭「げんしさい」
一月三日に行われるまつりである。歳首に当り、皇祖天照大御神さまが、皇孫をお下しになり、わが日本の国のきわまりない発展を教えられた。その精神にたちかえるよう、明治天皇のご創始にかかるまつりで、宮中において天皇のご親祭はもとより、一般の神社でも神恩を感謝し、天津日嗣(天皇の御位のこと)の無窮と国運の隆昌を祈って行われるまつりである。

歳旦祭「さいたんさい」
年の初め、すなわち一月一日元旦に行われるのがこのまつりで、そのため歳旦祭・元旦祭と呼ばれる。年頭にあたり、新年をことほぎ、諸神に皇室の弥栄はもとより、氏子崇敬者の平安と社会の繁栄、ひいては国の隆昌を祈念するまつりである。

天長祭「てんちょうさい」
十二月二十三日天皇のお誕生を祝賀申し上げ、天皇のご長寿と、大御代の安泰を祈るまつりである。「天長」とは中国古典の「老子」に表れた語で、天地と共に聖寿の限りないことを祝した言葉とされる。この起源は、遠く千二百余年の昔にさかのぼり、第四十九代光仁天皇のお誕生日に、始めて天長節と名づけて祝賀行事を行わせられたのに始まるといわれる。

明治祭「めいじさい」
十一月三日、近代国家建設の基礎をうちたてられた明治天皇の聖徳大業を仰ぎ、あわせて文化の日にあたり、明治の国づくりの精神を振起して、民族の自覚を新たに、ますます文化、産業の発展を祈るまつりとされる。
 (三)小祭式
月次祭・日供祭「つきなみさい・にっくさい」
神社では毎朝きまった時刻に、神職によってまつりが行われている。これを日供祭といい、毎日の神恩感謝と祈願のまつりである。
このような日毎のまつりに対して、月毎のまつりがある。毎月一日とか十五日をその日に定めて行うまつりで、これを月次祭という。神宮において月次祭は大祓祭・神嘗祭と共に三節祭の一つであり大祭式に入っている。
 (四)恒例式
大祓式「おおはらえしき
私たちは毎日生活している間には、常に正しく神の御心に恥ない行いを心掛けていても、知らずに人を傷つけたり、罪を犯したり、穢れに触れたりする。大祓はこれらの罪・穢を祓い去り、すべての人が神から戴いたままの、清く正しい心の持ち主に立ち帰ることにより、一家や社会、国家が罪や穢れのない清く正しい社会になるよう行う行事である。
神社では六月末日と十二月末日の年二回、大祓式を行い、六月の祓を名越祓・六月祓・夏祓などといい、一年の後半を迎えるに当って大きな祓を行う。また新年を迎えるに当っての十二月の祓は師走祓ともいう。
この日多くの神社で茅輪くぐりが行われるのを見るが、これは「備後風土記逸文」の蘇民将来の故事から起ったものといわれ、茅を太くより結んだ大きな輪をくぐれば災厄をまぬがれるといわれている。

式年祭「しきねんさい」
式年祭は一定の年を期して行なわれるまつりであり、鎮座日またはご祭神の年祭など、神社にとって特に由緒深い日にもとづくものが多く、三年・五年・七年・十年・二十年・三十年・四十年・五十年・六十年・百年およびそのうち百年毎を式年とするまつりをいう。神社においては、二十年目毎に行われ、この場合は特に式年遷宮と呼ばれ、全国民あげてご奉仕する重儀である。

除夜祭「じょやさい」
一年の最後の祭でいわゆる年越祭である。十二月三十一日に行われる。この夜宮中にては、賢所・皇霊殿・神殿において御祭典が行なわれる。
二諸祭
宅神祭(神棚の祭り)「たくしんさい(かみだなのまつり)」
神棚は居間、茶の間などの高くて清浄な所に設けて神を奉る棚で、文献上の初見は古事記上巻の御倉板挙之神の条といわれている。この神棚が庶民の家にまで設けられるようになったのは、伊勢両宮の神官や御師等が大神宮の御祓大麻(神符)を全国各地に配布した頃からと考えられている。日本の多くの家庭には神棚と仏壇は欠くべからざる存在となっており、この相異する宗教の併存は神仏思想の調和にともなって自然に表現され現在に至っている。「令義解」巻二に書かれている宅神祭(やかつかみのまつり)については今でも地方によっては定期的(主に正月)に神棚の前で宅神祭が行われ、また何かの節目や凶事が続く時など臨時に行われる。なお、古い神宮大麻や神札は神社へお返ししたり道祖神の火で炊き挙げる。

遥拝「ようはい」
遥かに拝むことであるが、神社本庁の祭祀規程では諸式の一つとして遥拝の式があり、祭式次第も示されている。この祭で宮司の奏する文を遥拝詞という。遠くはなれた地から神宮を拝んだり、旅先から氏神を拝んだりすることも遥拝である。文献上では日本書紀で天武天皇が天照大神を『望拝』し給うたとあり、また延喜式には斎内親王の『遥拝』もある。

神符守札遷霊「しんぷもりふだせんれい」
神社のおふだや守りふだのお魂入れで、清祓式とも呼ばれている。神符(神札)と守札はその大きさによって区別され、神符は神棚に納め守札は身に付けたり、身近に置いたりしている。遷霊式の祝詞に授与始祭の意味を含めるを普通とする。

お日待「おひまち」
特定の日に一夜を眠らないで籠り明かすことである。月の出を待って祭りをした後で解散する『月待ち』に対する概念用語として、太陽の出るのを待って後に解散するのが『日待ち』と考えられているが、マチは古語でマツリと同義であるから神の側にいて共に夜を明かすという意味があった。地方によっては屋敷神の祭りを『おひまち』と読んで年一回行なわれている。

地鎮祭『ぢちんさい』
本来トコシズメノマツリと訓むべきを近年は音読している。起源は日本書紀の持統天皇五年の条に藤原京の大宮地の霊を祭ったことによる。古くより鎮祭・鎮謝・地祭・鎮地・鎮・地曳・地勧請などといって、土木・建設等の起工に当たり常日頃よりその土地を守護し給う産土神や大地を主宰し給う神に奉告し、工事の安全や順調な竣工を祈願する祭である。

上棟祭「じょうとうさい」
上棟式とか棟上式ともいって家屋等の造工がほぼ出来、棟木を作りこれを棟上に揚げるにあたって工匠達の祖神を祀って行う儀式である。祀りの規模はもっとも丁寧な『真の式』次が『行の式』、そして『草の式』に三別される。
『真の式』は滅多に行なわれず江戸城とか日光東照宮など数回にすぎないという。現在普通に行われる上棟際は屋上に祭壇を設けて神籬または五色幣、弓矢幣束を立てて屋上で祭式を行なうもの等いろいろある。

水神祭「すいじんさい」
水を主宰し給う罔象女神や水分神等の『水の神さま』のお祭りである。主に飲料水、潅漑用水等の水源地で行われるが、時には水の分け場や大堰の所等でも行われる。また、垂水祭とか水祭りとか呼ばれている所もある。なお、井戸の場合は井神祭が行われる。

風神祭「ふうじんさい」
カゼノカミノマツリといって龍田神社(旧官幣大社)で古くから行われてきた祭で、万葉集九巻高橋虫麻呂の長歌の一節に「山下の、風な吹きそと、うち越えて、名に負へる社に、風祭りせな」がある。風災を鎮めて五穀豊饒を祈る祭りで、祭神は支那都比古神(天之御柱神)、支那都比売神(国之御柱神)。延喜式では小祭として扱われているが、世の人々の関心高く今でも各地で行われている。

勧学祭「かんがくさい」
入学祭ともいうが、特に人生で初の学校である小学校の入学に際して、入学式の前に地域の入学児が親子揃って神社に参拝し、立派な人になるよう、学芸の成就、通学の安全を祈願するものである。祭りが済んで学用品が授けられる所もある。

鎮火祭「ちんかさい」
古くはホシズメノマツリともいって、火災を防ぐために昔宮城の外郭の四角において卜部等が火をきり出して行なう祭りで、『大宝令』によれば六月と十二月の晦日の夜道饗祭の後行われた。今も各神社で六月と十二月の晦日に行なうのはその名残である。

茅輪儀式「ちのわぎしき」
病気を払う祓具の一種で茅または藁を束ねて輪としたもので菅貫ともいう。六月三十日にこれを一定の方式で潜ることによって祓除を行う。これを名残祓、六月祓ともいって、大抵の神社では明治の代まで行われてきたが現在なくなっているところが多い。

節分祭「せつぶんさい」(追儺式)
節分という病気予防の民間行事にともなって起こった祭事で、室町時代の中期以後より各地の神社で行われ明治の頃まで続いたが現在は仏教行事の事のようになっている。節分祭で有名な京都の吉田神社の場合は、大元宮正中に疫塚を作り参拝者は自分の姓名年号等を記した紙に賽銭や疫豆を包んでこの疫塚に投げつけたという。

献茶祭「けんちゃさい」
茶道に志す人々が、日常嗜む茶を神前に献じて、御神慮を慰め奉ると共に拝服して邪気を祓い、無病息災を念じ、かつ、茶道の隆昌を祈願する祭りである。
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