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四柱神社

四柱神社
支部名 松塩筑支部
宮司名 宮坂信廣
神社名 四柱神社(よばしらじんじゃ)
鎮座地 松本市大手3丁目3番20号
祭神名 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
例祭日 10月2日(神道祭)
由緒  当神社は松本市の中央に位置し、現在では周囲にも近代的な建物が多くなったが、御創建に当たっては女鳥羽川の清流に添う旧松本城内、大手門附近の幽邃なる景勝の地を卜したものであった。明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、筑摩県庁の所在地である松本に、明治7年2月神道中教院(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎されてきたが、明治12年10月、新たに一社を興し、四柱神社として、現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築せられたのである。その経費は、中南信全域(旧筑摩県)の神職、県庁その他諸官衙、一般篤志家の浄財と奔走によった。翌十三年六月、当地方に初めて行幸があり同月四日、新築新装なったばかりの神道事務分局を行在所を定められ、松本に陛下をお迎えできたのであった。この由緒ある社殿及び事務局の建物の一切が明治二十一年一月四日の松本大火に類焼、以来仮殿に奉斎されて来たが、大正十三年に至りようやく御鎮座当初と同じく中南信全域の奉賛を得て、現在の社殿が再建された。ちなみに、前述の縁由によって、当地方では四柱神社と申し上げず「しんとう」(神道)の呼び名で広く一般市民に親しまれている。加えて当神社例祭も"神道祭″と呼ばれ、松本平を代表する盛大秋祭として斎行されている。
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