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子檀嶺神社

支部名 上小支部
宮司名 清住宗廣
神社名 子檀嶺神社(こまゆみねじんじゃ)
鎮座地 長野県上田市武石小沢根字小沢根230
本社祭神名 宇賀御魂神 (うがのたまのかみ)
建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)
八坂刀賣命(やさかとめのみこと)
特殊神事 式年御柱大祭ー寅年・申年の4月に執り行われている。
例祭日 4月15日であったが、戦後は4月の第1日曜日となっている。
由緒  式石郷八ヶ村の産土神として信奉されている子檀嶺神社は、奥宮である子檀嶺獄山頂の子檀倉社、中宮である余里の駒形神社、里宮である当社からなっている。御祭神は、奥宮は宇賀御魂神・高れい神、中宮は建御名方刀美命、里宮は宇賀御魂神、建御名方刀美命、八坂刀賣命の三柱である。 和銅5年(712)に山城国紀伊郡稲荷神社より宇賀御魂神を子檀嶺獄山頂に鎮座しこれを奥宮と称し、里宮は旧下武石村五日町に御遷座お祀りしていた。大同元年(806)3月15日当国一ノ宮上諏訪神社より建御名方刀美命、八坂刀賣命を宝珠児玉石三個に添いて分社し二柱の命を左右の殿に遷祀した。古くはこの三柱を合わせて子檀嶺神社獄石宮大神として祀っていた。貞観2年(860)2月神位従五位下を授けられ、延長2年(924)御勅改、延長5年(927)延喜式に選ばれ名神小社に列した。寛冶元年(1807)源義光公本殿再建され元暦元年(1184)当郷の豪族武石三郎平胤盛本殿吠殿を修理された。 天正4年(1576)依田川の大洪水により社地・社殿が流失し、当時の地頭大井大和守信廣現在地へ遷座し祭典料として28貫文の地を寄付された。慶長12年(1607)9月28日領主真田候社領として18石余寄付され、以降領主が変わる毎に社領は寄付された。延享3年(1746)烈風のため大破損を被り、翌4年領主松平伊賀守忠愛候巨木を寄進された。
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